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【2023年オススメ】富山から横浜までローカル線で帰ってみたら人生変わった...

日本には新幹線や飛行機といった時間を超越する素晴らしい乗り物がある。にも関わらずローカル線といういわば各駅停車の鉄道旅をする者もいる。人生色々である。
今回は横浜から富山への旅行を楽しんでいたのに、なぜか帰りローカル線で横浜まで帰ることになった鉄道オタクでもない独身男の旅行記をお送りする。何も参考になることはない。
緩い気持ちで見て頂きたい。

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「出会う、つながる、好きになる。」

ローカル線の旅は突然に。

僕は今年26歳になる。26歳といえば第一次結婚ブームというべきか、周りには何人か結婚して子どもを育てているパパママがいる。そんな立派な同期もいるなかで、僕はしこたま友人と遊び呆けて、いま富山駅の新幹線チケット売り場で途方に暮れていた。

2023年7月17日、富山〜東京の新幹線は全て満席表示だった。

「まいったな明日帰れねえや」と呟いた僕は諦めて翌日火曜日の便を探そうとしていた、そのとき。僕の友人で「面白い旅のルートを教えて」と聞くといま話題のChat GPTのような速度で“普通ではない旅のルート”を教えてくれる奴がいることを思い出し、すぐさまLINEで連絡を取った。

すると数分後には時刻表アプリのキャプチャが送られてきた。相変わらず流石のスピード感である。
そこには富山から僕の住む横浜までのルートが記載されていた。

12:47 富山発→ 22:29  横浜着

10時間。目を疑った。

北陸新幹線で富山から東京は最速で2時間11分という世界だ。10時間も何をするんだ。僕は自分が付けているコンタクトレンズの不具合かと思い、目薬を一滴挿した。...が、変わらずそこには9時間42分の文字。

旅程はこうだ。

12:47  富山(あいの風とやま鉄道)

13:49  泊(えちごトキめき鉄道)

16:07  直江津(北越急行ほくほく線)

17:28  六日町(JR上越線)

18:44  水上(JR上越線)

20:07  高崎(JR上野東京ライン)

22:29  横浜

(参照:Yahoo!乗換案内より)

とんでもない。自分の不注意で帰りの新幹線チケットを取り忘れたのがそもそもの元凶ではあるが、それにしたって長い。長すぎる。

2日前、

まあどうせ新幹線空いてるっしょ

とたかを括って友人と富山の鮨を嗜んでいた自分をぶん殴りたい。

それでも帰るしかない。
なぜなら僕は社畜だから。
週明けからやることはたくさんある。

僕はChat GPTな友人に感謝のLINEスタンプを送るとあいの風とやま鉄道・富山駅の窓口に向かった。

すると駅員さんから「上越新幹線なら自由席があるんで乗れると思いますよ。」という言葉が。慌てて「えきねっと」のアプリを開いて見てみると「上越新幹線 ◯」の表記が躍り出た。迷わずチケットを購入。とは言え上越新幹線に乗るには長岡か越後湯沢まで乗る必要がある。結局僕は越後湯沢まで各駅停車で行くことにした。

立山そばの味が染みる。

翌日。僕はホテルを11時にチェックアウトし、八王子から富山へ移住した別の友人と軽くお茶をしてから富山駅へ向かった。この日は35℃を超える猛暑日。僕は涼しいものでも食べようと思い、駅前にある立山そばに立ち寄った。

立山そばと言えば「立山」と書かれた蒲鉾(かまぼこ)がのせられていることで有名な立ち食いそばのお店である。

僕は入り口に備え付けられた券売機を見て驚愕する。冷たい蕎麦が軒並み売り切れなのだ。何から何までツイていない。仕方なしにあたたかいとろろ昆布そばと鱒寿司を注文。

ものの数分で出来上がり。地獄のローカル線旅の開始まで残り15分を切っていた。

僕は熱々の蕎麦を啜りながら、改めて今日のこの後の旅程を見直す。富山から越後湯沢まで4時間36分。越後湯沢から大宮まで52分。大宮から横浜まで1時間。およそ6時間半。この途轍もなく長い時間をどうやり過ごすか。気付けば蕎麦と鱒寿司はすでに無くなっていた。

▼美味しい鱒寿司は楽天市場で!

ちなみに立山そばの蕎麦は薄めのダシで優しい味に仕上がっている。とろろ昆布のおかげでツルツルと喉に通っていくのが心地よい。僕は鱒寿司へのこだわりが強く、特定の店舗でしか購入しないが、そこの味と遜色ないレベルで美味しかった。

立山そば
・住所:富山県富山市明輪町1-227
・メニュー:とろろ昆布蕎麦+鱒寿司+生卵
・営業時間:7時00分~21時00分
・公式サイト:こちら

あいの風とやま鉄道に初乗車

14:01発の泊行き各駅停車に乗るべく、富山駅コンコースを歩き始める。三連休の最終日とあってこれから帰路に着くであろう観光客がお土産を物色している。

2両編成の電車が入線してくると高校生や地元の主婦が一気に乗り込み、瞬く間に車内は満杯になった。

定刻通りに富山駅を滑り出した2両編成の電車は北陸新幹線の線路を横目にスピードを上げていく。左手に顔を向けると富山で一番高いインテックの自社ビルが見える。全面ガラス張りの高層ビルは他を寄せ付けない圧倒的な存在感を放っている。

しばらく走ると街中を抜け、一面にのどかな田んぼと遠くに立山連峰が見える。青々とした空と田んぼのコントラストが延々と続く。
電車は滑川駅を出ると一気に人が減り、終点の泊駅まで進んでいく。乗っているのは僕と数名の鉄道ファンだけだった。

富山への移住記事も人気です。

えちごトキめき鉄道に初乗車

泊駅までは約50分。その間僕は富山駅前の商業施設にある本屋で買った自伝を読んでいた。「とんねるずのみなさんのおかげでした」でお馴染みのマッコイ斉藤氏の自伝「非エリートの勝負学」である。

山形県の田舎町出身の彼がビートたけしに憧れて上京し、売れっ子テレビディレクターになっていくまでの話である。コネも学歴も経験もないのにビートたけしに憧れを持って生きてきた彼の話はどこか僕にも通ずるものがあるような気がしてならなかった。

彼も東京に憧れて生きてきた。

僕も同じである。東京で一旗あげてやろうと息巻いて上京してきたことを思い出す。

えちごトキめき鉄道の1両編成の車両は泊駅をのっそりと音を立てて出発した。車両には高校生と思しき男の子が1人、大学の参考書を手に勉強をしていた。彼もまた将来は東京に出るのだろうか。東京はそこまでいいもんじゃないぞ、と余計なお世話を独りごちたところで列車は直江津駅に向けて走っていく。

えちごトキめき鉄道の沿線は素晴らしかった。親不知を出たあたりから北陸自動車道の橋と日本海が間近になり、海沿いをひたすら進んでいく。

この辺りは日本海に侵食された断崖絶壁が続き、越後国(新潟)と越中国(富山)を往来する旅人は断崖の下にある海岸線を通らねばならず、かつて承久の乱や江戸時代の参勤交代でも最大の難所と呼ばれた。今では北陸新幹線が数秒で通り抜けてしまうが、えちごトキめき鉄道はその当時の苦労を何となく思い起こせるような場所をゆっくりと進んでいく。

現代の技術が自然を乗り越える。

改めて北陸新幹線が作った北陸と東京の交流は絶大だったと思わせる。

列車は糸魚川までずっと海の真横を通っていく。コバルトブルーの日本海と鬱蒼と茂った木々を力強く抜けていく列車は間も無く終点・直江津に到着するため減速していく。

▼ちなみにえちごトキめき鉄道では雪月花という電車が走っている。ぜひ興味のある方は見てみてほしい。

■えちごトキめき鉄道 雪月花についてはこちら

直江津で美味しい駅そばに出逢う

泊駅からの接続時間はわずか2分だったので直江津で30分ほど乗り換え待ちをする。一回改札を抜け、直江津駅の駅そばに立ち寄る。立山そばが美味しく、駅そばにハマってしまった。

直江津庵というお店。
閉店も近いためか客は僕以外ゼロ。
さっそく券売機を眺める。
直江津名物が多すぎて悩む。

結局僕はめぎす天うどんを注文した。
めぎすは直江津がある上越市近海で穫れる魚で、クセのない味が特徴だ。

こちらがめぎす天うどん。そういえば同じくオススメの「する天」も加えた。する天はいわゆるするめのことである。

一口食べる。

めちゃくちゃ旨い。

濃厚なダシによく絡んだ天ぷらがいいアクセントになっている。うどんもコシがあり、するすると食べられる。岩のりが仄かに香ってきて食欲が増進される。

1時間半前に立山そばを食べたのに、まるで今日初めて食事をしたかのようなスピードで平らげた。
ぜひ直江津に来ることがあれば直江津庵に寄ってみてほしい。オススメ。

直江津庵で満足できたところで次に乗る北越急行の入線を前に直江津駅周辺をぶらついた。直江津はかつて直江津市として独立しており、4万人強の人口がいた。平成の大合併が始まる前に隣接する高田市と合併し、上越市になった。駅舎も立派で、駅の周りにはホテル数軒と商店があった。

少し離れたところにイオンもある。

駅前のロータリーにはタクシーが数台おり、客待ちをしていたが、ほとんど客はいなかった。やはり地方は車社会なんだと思わされる。

直江津庵
・住所:上越市東町1-1
・メニュー:めぎす天うどん(する天+生卵)
・営業時間:7時00分~17時10分
・定休日:なし
・公式サイト:こちら

北越急行ほくほく線に初乗車

17:00 直江津を出るべく北越急行ほくほく線に乗車する。こちらも1両編成で越後湯沢駅に向かっていく。
北越急行といえば一時期、時速160kmで目的地へ行くとんでもない鉄道会社として名を馳せたが、現在では最高速95kmに抑えられている。
直江津を出るとスピードを一気に上げていき、ものの数分で犀潟駅に着く。北越急行ほくほく線は便宜上、犀潟駅が起点になっているようで、犀潟駅からグイッと曲がって内陸へ入っていく。

内陸へ入ると一面の田んぼ。360度、一面が田んぼだらけで思わず目を奪われる。この辺りから日本を食生活から支えているのかと思うと感動を覚える。そしてこれだけ広大な土地を管理する農家の偉大さをまざまざと見せつけられたような気がした。

ちなみに北越急行は高架を通るため駅もほとんどが高い位置にある。そのため各駅もご覧のように高所に建てられている。田舎町に突如現れる駅舎が異彩を放っており、面白い。
しばらくずっと続く田んぼの景色を楽しんでいくと途中の大きな駅、十日町駅に着く。十日町は人口5万人程度の小さな町で、日本三大渓谷の一つ、清津峡がある。

清津峡渓谷トンネルは水面に反射したトンネルが円を描いて見えることで知られており、週末ともなると全国から観光客が集まる人気スポットだ。トンネルを見るには予約が必須で、アソビューから予約が出来る。

▼こちらから清津峡渓谷トンネルの予約できます!

トンネル内は人数制限があり、かなり先まで予約が埋まっているので、行きたい方は早めに予約しておくことをオススメしておく。

十日町駅を抜けると次のターミナル駅、六日町駅を目指してスピードをあげていく。もともと山間のなかに線路があるものだから、トンネルばかりになる。外の気温は35℃をゆうに超えているが、トンネル内は相当冷えているのだろう。長いトンネルを抜けた後は窓が真っ白に曇っている。

六日町駅を出ると20分ほどで目的地・越後湯沢駅に到着する。途中、上越国際スキー場や八海山を見ながら列車はゆっくりと越後湯沢駅に向かっていく。

越後湯沢は、もうすぐそこだ。

越後湯沢は、夏に冬眠する。

越後湯沢の駅に着いた時には辺りは薄暗がりになっていた。さすがは越後湯沢温泉というだけあって、スキーが出来ないシーズンでも多くの観光客で賑わっていた。久しぶりに大勢の人がいる場所へ帰ってきた気がする。

駅の外に出てみる。

西口と東口があり、西口側は川端康成の『雪国』のモデルになった越後湯沢温泉のホテルや旅館が軒を連ねる。連休最終日ということもあってか駅の外にはそこまで人がいなかった。さっき駅にいたたくさんの観光客はどこへ行ったのだろう、というくらい人がいなかった。

続いて東口。西口がホテルや旅館街だとすると東口は湯沢町の住民が生活する街と言える。駅前には魚民が一軒あり、少し歩くとアーケード街が見え、焼肉屋やレストランが立ち並ぶ。時間的なものか、周囲は閑散としていた。まだ西口の方が人がいる。

辺りはいよいよ暗くなり始め、雲が増えてきた。時折通る新幹線の音が遠くで聞こえる程度で、虫の音もよく聞こえる。冬場に東口で降りたことがないので、冬場はまた違う景色を見せてくれるのだろうか。

上越新幹線の到着まで当てもなく歩いた。ラーメンの一つでも食べて帰ろうと思っていたが、中途半端な時間に食べた直江津のうどんが響き、結局越後湯沢では何も買わずに新幹線改札に向かう。

やっぱりこの街は冬に来るべきなんだろうな。
そんな当たり前のことを思いながら、iPhoneのモバイルSuicaに入っている新幹線チケットをかざした。

新幹線は、つまらない。

19:40発の上越新幹線「とき344号」に乗車した。北陸新幹線は全車指定席だが、上越新幹線には自由席がある。これは有難い。なぜなら僕のような計画性のカケラもない奴でも、乗ることができるから。

ところが定刻を過ぎても、新幹線は来ない。すでに定刻より5分過ぎている。予定では大宮には20:31に到着するはずだったのに。

結局、20分ほど遅れて越後湯沢駅に入線してきた新幹線の車内はごった返していた。すでに自由席に座る座席は一つもなく、デッキに立っている人もいた。当然僕も座ることなどできず、デッキで立ったまま駅を滑り出した。

20:55 大宮駅に着いた。途中の高崎からも大勢の乗客が来たので、ついぞ最後まで立ちっぱなしだった。ここに来て三連休の人出の多さを痛感する。

大宮駅からは駅前の街が見える。遠くに見えるタワーマンションが都会に引き戻されたことを示すかのように聳え立つ。僕は明日からの仕事を思い出し、憂鬱になりかけたところでなんとか平静を保ちながら新幹線ホームを降りていく。どんどんと増えていく人を眺めながら、改札を抜ける。

新幹線は確かに速い乗り物だ。地方と首都を結ぶ最速達の乗り物である。それでもなんだろう。とてもつまらなかった。

それは新幹線で立ちっぱなしだったことだけが理由ではない。

今回、突然始まったローカル線旅。僕は長旅の疲れよりも、達成感を感じていた。あいの風とやま鉄道では立山連峰の山々が神々しく見え、えちごトキめき鉄道では親不知から見る日本海の雄大さを感じ、北越急行では一面に広がる田んぼに呆気に取られた。

新幹線では味わえない景色や匂いを体感した。

もしかしたら、僕はローカル線好きになったのかもしれない。いや、そんなはずはない。だって僕はいち早く目的地に行きたいせっかちな人間なのだから。
どうせ次は新幹線でぶっ飛ばして行くに決まっている。

それでも、あの景色や匂い、そこで暮らす人々のことは忘れないだろう。

富山から読み始めたマッコイ斉藤氏の自伝は、すでに「あとがき」を迎えていた。

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Shumoty

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